嫌クソリプ論(hattism)を嗤う

最近、ツイッターでは(自分にとって)不快なリプライを「クソリプ」と呼ぶらしい。
で、事ある毎に「クソリプを送るな!」と激昂する人達がいる。

そりゃあ、誰だって不快なリプライを送られるのは嫌なもんだ。
かく言う俺だって、原発事故で世間が大わらわだった2011年なんて毎日毎日「クソリプ」が送られて随分嫌な思いをしたものだ。今だって当時ほどではないにせよ、たまに「クソリプ」が送られてくる。

ただ、「クソリプを送るな!」と激昂している連中のツイートを観てみると、人の反感を買いそうな挑発的なツイートや露悪的なツイートを嬉々としてポストしている輩が少なくない。
これは俺がツイッターで幾度も言ってる事だけど、言論の自由は決してその言論に付随するリスクを帳消しにする類のものでは無いという事である。
例えば、ツイッター群馬県を馬鹿にするようなツイートをすれば、当然ながら群馬県民に非難されるリスクが生じる。いくら当人が「洒落」のつもりでも、群馬県民の皆がお前の基準を受容しなきゃならない謂われはない。
クソリプ」という語句が、そういう下衆な洒落へのリアクションの事を指すのであれば、私は「甘えんな馬鹿」と言いたい。
それでも、ツイッターでゲスな洒落をかましたいというなら、やるなとは言わないから、お仲間だけをフォローして鍵かけて規制するか、ブロックミュート機能を駆使すりゃいいだけの話である。

リアル社会だろうが、ネット社会だろうが、公然と人を不快にさせる発言をすりゃ叩かれるのは当たり前。自分は人を叩いて相手には叩かれないなんて、そんな「言論の自由」なんて存在しないし、必要さえない。