「物言えぬ空気」論を嗤う
http://hbol.jp/27293:「物言えぬ空気」にジャーナリストたちが声明を発表。いつから政権批判はタブーになった?
安倍内閣が三年に突入してなお50%近い支持率をキープして、長期政権になりそうな気配が濃厚になったせいか、安倍内閣倒閣に血道を上げるリベラルな皆様方が「物言えぬ空気」だの「翼賛体制」だのと紋切り型の文句を垂れ流している。
確かに、NHKの籾井勝人会長には権力迎合的な姿勢が見えるし、安倍総理本人にも自身への批判に対する総理にしては些か過剰な反応がある。
しかしながら、テレビ報道をざっと観る限りでは、安倍政権批判を厭う空気は特に感じられない。
彼らの言う「物言えぬ空気」「翼賛体制」なるものは、単に自分達の論調が世の中の多数派に支持されないだけである。
本当に自分達の論調が世間の多数派に支持されたいと願うならば、「物言えぬ空気」だの「翼賛体制」だのと泣き言言ってないで、自分達の意見が何故支持されないのは、その原因を分析した上で戦略を練れば良いと思うのだけれど、まぁチョモランマより高いプライドをお持ちな方々ばかりだから、絶対そんな事はしないだろうな。
【左翼の法則2】反省しない(できない)。左翼は失敗の原因を外部にのみ求める。(例:国家権力、マスコミ、B層…)
— ちくわぶ大将軍@チップスアホイ (@Kirokuro) 2011, 10月 3
東浩紀の大きなお世話
3.11が近づいて来たこともあり、今年もまた震災や原発事故に関する言論が喧しくなってきた。
そんな中、キエーの哲学者・東浩紀が朝日新聞でかましてくれました。
風化を防げるのは当事者だけ。当事者が「忘れたい」と言えば、どうしようもなくなる。福島の人には、もっと「怒り」を発信してほしい。
この種の「福島県民はもっと怒れ」の類は、原発事故が起きて以来脱原発界隈から断続的に出て来るので、今さら感がアリアリなわけだが、福島の土人を善導しようという東京のインテリの傲慢さには呆れ返る他はない。
東京では震災・原発事故は風化してるのかも知れないが、地元ではローカル情報番組で震災・原発事故関連のニュースは4年が経とうとする今なお多いし、一見平穏さを取り戻しかかに見える郡山市でさえ、各所に帰宅困難者の仮設住宅がある。
少なくとも、地元においては風化のしようがない。
まぁ、今さら東に行った所でしょうがないのだが、福島県民の「愚劣さ」を嘆く前に、東を含む脱原発派による地元への配慮を欠いた言動の数々が地元民の、本来なら東電や政府へ向かうはずの怒りを逸らさせてしまっている事実を嘆いたらいかがだろうか?
嫌クソリプ論(hattism)を嗤う
最近、ツイッターでは(自分にとって)不快なリプライを「クソリプ」と呼ぶらしい。
で、事ある毎に「クソリプを送るな!」と激昂する人達がいる。
そりゃあ、誰だって不快なリプライを送られるのは嫌なもんだ。
かく言う俺だって、原発事故で世間が大わらわだった2011年なんて毎日毎日「クソリプ」が送られて随分嫌な思いをしたものだ。今だって当時ほどではないにせよ、たまに「クソリプ」が送られてくる。
ただ、「クソリプを送るな!」と激昂している連中のツイートを観てみると、人の反感を買いそうな挑発的なツイートや露悪的なツイートを嬉々としてポストしている輩が少なくない。
これは俺がツイッターで幾度も言ってる事だけど、言論の自由は決してその言論に付随するリスクを帳消しにする類のものでは無いという事である。
例えば、ツイッターで群馬県を馬鹿にするようなツイートをすれば、当然ながら群馬県民に非難されるリスクが生じる。いくら当人が「洒落」のつもりでも、群馬県民の皆がお前の基準を受容しなきゃならない謂われはない。
「クソリプ」という語句が、そういう下衆な洒落へのリアクションの事を指すのであれば、私は「甘えんな馬鹿」と言いたい。
それでも、ツイッターでゲスな洒落をかましたいというなら、やるなとは言わないから、お仲間だけをフォローして鍵かけて規制するか、ブロックミュート機能を駆使すりゃいいだけの話である。
リアル社会だろうが、ネット社会だろうが、公然と人を不快にさせる発言をすりゃ叩かれるのは当たり前。自分は人を叩いて相手には叩かれないなんて、そんな「言論の自由」なんて存在しないし、必要さえない。
問題意識の差異について
政治問題に首を突っ込む人が心得なければならない事は、「多数の人達にとって、自分が気にする問題なぞ対して興味など持ってない」という前向きな諦観である。
— ちくわぶ雑人(・´з`・) (@Kirokuro) 2014, 5月 11
Twitterやブログなどで良く「◯◯の問題に感心を抱かない一般大衆は愚かである!」的な青臭い衆愚思想を垂れ流す手合いを見かけるが、人間なんて基本的に自分や周囲に関する事にしか関心を抱かない。
消費税増税にしたって、金に不自由しない人間にとっちゃ大した事の無い問題だし、福島の放射能がらみの問題にしたって、福島県外の人間にとっちゃ福島が復興しようがしまいがどうでも良い事であるし、放射能の恐怖を煽って脱原発を実現したい連中にとっては、福島の復興などしてもらわないほうが好都合。
別に自分は、こういう状況を殊更嘆こうとは思わない。
人間なんてそんなものと、諦観しつつも「もしかしたら…」と一縷の望みに期待をかけるだけである。