震災の記録【3月11日編】

今年も残す所あとわずかになった。
震災時の記憶が風化する前にブログに記録を残しておこうと思った。

2011.3.11
夜勤が終わり、セブンイレブンでからあげ棒とブリトーを食って9時頃帰宅。
パソコン起動してTwitterやって10時頃就寝。
突然、携帯電話から聞きなれない着信音が鳴り出し目が覚める。
何事か?と思い携帯電話を覗き込んだと同時に揺れが始まった。
当初はパソコン机の下に潜り込んで地震が収まるのを待っていたが、収まる所か揺れはどんどん激しくなる。
「こりゃいつもの地震じゃないぞ!」そう直感した俺は、大急ぎで裸足のまま庭に逃げ込んだ。
庭先には両親がやはり避難していた。
大きく揺れる電線!揺れる家屋!揺れる地面!揺れるお姉ちゃんの胸初めて体験する大地震に恐怖と高揚感が毎混ぜとなった複雑な感情に囚われた。
大きな揺れが収まり、家や周辺を見回す。
玄関のサッシ戸はズレて食い込んで動かなくなり、瓦の一部が崩れ家の中は棚の置物が散乱してひどい状態に。

まだ揺れが続いてるのに、お袋が家の中に戻って散乱した部屋の片付けを始めたため、親父と一緒に止める。
俺の部屋のCDコレクションは幸いCD棚が倒れなかったために、一部のCDケースが破損する程度で済んだ。
近くの県道は帰宅するためであろうか、かなり渋滞していた。
程なくして別居していた弟が来る。
ふと脳裏に福島の原発の事が頭をよぎった。
原発は大丈夫だろうか?」
揺れがある程度収まったので、家の中を一通り片付け。
インフラは、不幸中の幸いにして電気水道は無事だった。
気がつくと薄暗くなっていた。
で、普通に夕食。うちのお袋に食材を買い貯めておく習慣があるため、食材に不足はなかった。
今日の夜勤はどうなるのか会社・上司・同僚に電話するも連絡取れず。両親の意見と取り入れ、後で無断欠勤扱いされることに不安を覚えつつ、今日の出勤は断念することにした。
Bフレッツが不通だったので、iPhoneの3G回線でTwitterをする。
タイムラインには、この日すでに「フクシマ」の語句が飛び交っていた。人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。
緊急避難に備え、普段着のまま就寝することにしたが気持ちが高揚してなかなか寝られなかった。