日本未来の党は何故敗れたのか?

民主離党組1勝70敗 小選挙区当選は小沢一郎氏のみ

2009年の前回衆院選以降に民主党を離党し、今回の衆院小選挙区日本未来の党日本維新の会などから立候補した前衆院議員67人と前参院議員4人のうち、小選挙区で勝利したのは日本未来の小沢一郎氏だけで、1勝70敗となった。

敗因は色々と考えられるが、まず考えられるのは有権者民主党議員の離党を「禊」とは取らずに「苦境の民主党を見捨てて裏切った卑怯者」と受け取ったのだろう。
まぁ、「禊」を済ませたと勘違いしてツイッター民主党攻撃に明け暮れた一部小沢派議員は傍から見ていて醜悪だったもんな。

政策の中身より「筋」を重視する日本の有権者

今年の5月に政治意識がそこそこ高い友人達と飲んだ際、そのひとりが「消費税増税という国民が嫌がる政策をブレずに推めた野田総理は偉い!」的な事を話すのを「ああ、こういう評価をする人もいるんだなぁ」と思いながらじっくりと聞いていた。

日本の有権者は、政党や政治家個人がこれまで掲げてきた政策やスローガンを変える事を(政策やスローガンの内容を問わず)嫌う傾向があり、政策やスローガンの中身はさほど問われない。
ゆえに政党や政治家個人がこれまで掲げてき政策を改めようとしても、有権者には政策の是非は問題にされず、ただ「ブレた」事のみで駄目出しされてしまう。

要するに日本の有権者は、国民が不利益を被る政策を改めた政治家よりも、国民に不利益が生じる政策であってもブレずに掲げ遂行する政治家の方をより重視する。

先ごろ最低賃金撤廃をぶち上げて顰蹙を買った橋下徹市長だが、最低賃金撤廃もマスコミや世論の反発でブレずに掲げ続ければ、「橋下徹は偉い!」と評価する有権者が必ず出てくるだろう。

鳩山引退 〜中途半端な理想と野心〜

鳩山由紀夫元首相、政界引退…北海道苫小牧市で会見

 民主党鳩山由紀夫元首相(65)=衆院北海道9区=は21日夕、北海道苫小牧市で記者会見し、来月16日投開票の衆院選に立候補せず政界を引退すると正式に表明した。消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)推進など現政権の方針が自身の主張と異なると指摘。野田佳彦首相が、こうした政策への賛同を公認条件としていることを踏まえ「公認されないと知った。これでは戦えないと判断した」と引退理由を説明した。

これで、政権交代前夜から続いていた、小沢・鳩山連合「小鳩派」と仙谷グループ・野田グループらとの暗闘は、最終的に仙谷・野田一派の勝利に終わった。
ツイッターなどでは、野田の豪腕を評価する声があるが、小鳩派は昨年の菅内閣不信任決議案を否決された事により事実上敗北しており、今回の民主党の措置は戦後処理に過ぎない。
それなりに高い理想と野心を持ちながらも、民主党のオーナー意識と政敵の「温情」に無意識的に期待する甘さに気を取られここ一番での勝負に逃げを打つ一政治家の当然の帰結と言うべきであろう。

さかもと未明というバカがいる

再生JALの心意気/さかもと未明(漫画家)

 私は夏の羽田空港で、JALの空港スタッフ相手にひと騒ぎ起こしていた。主人と出かけた愛媛県松山からの帰りの飛行機、JAL1466便のなかで、赤ちゃんが泣き叫び通しだったのにブチ切れてしまったのだ。だって、客室乗務員さんが母親と一緒にあやしても泣きやむ気配はないし、逃げ込む場所もないんだもん。

 その赤ちゃんは、たぶん1歳くらい。どうしてそんな体力が、と思うくらいに離陸から泣き叫び通しだった。

 「引きつけでも起こしたらどうするの?」と心配になるレベルだし、お母さんもどうにもできなくてホトホト困っているのがわかる。ほかのお客さんも「言い聞かせてなんとかなる年齢ではないし、仕方ない」と思っているみたい。でも、私は耐えられなかった。

 「もうやだ、降りる、飛び降りる!」

 私は、着陸準備中の機内を、出口に向かって走り始めた。その途中で、子供とお母さんにはっきりいった。

 「お母さん、初めての飛行機なら仕方がないけれど、あなたのお子さんは、もう少し大きくなるまで、飛行機に乗せてはいけません。赤ちゃんだから何でも許されるというわけではないと思います!」

ツイッターでは、公共機関に乳児を乗せる事への是非が論じられてるみたいだけど、この問題の本質はそこじゃない。
万引きや彼女とのセックスを自慢する中高生レベルの駄文を、不惑を超えた大の大人、しかも「徳育」だの「規範」だのが大好きな「保守」を自認する人間が嬉々として書く事と、それを平然と載せる「Voice」編集部のモラルの問題である。
アメリカからの押し付け憲法戦後民主主義が、さかもと未明のような恥知らずな大人と量産した」と、厭味の一つでも言ってやりたいところだが、やめておこう。

反脱原発宣言

私は脱原発を支持しない

2011年3月11日に起きた東日本大震災から早いもので、1年8ヶ月が経とうとしている。
この1年8ヶ月の間、我々福島県民は3つの苦難との戦いを余儀なくされてきた。1つは地震による苦難、2つめには震災により発生した福島第一原発事故による放射性物質との苦難、そして3つめはそれにともなう風評被害への苦難である。
現在、世間では脱原発に向けた運動・議論が盛んに行われている。しかし、その運動・議論には首を傾げざるを得ないというのが正直な所である。

脱原発を標榜する者の中には、東京・大阪など電力大消費地域の住民が少なくないが、そういう者たちの口からは原発事故を引き起こした東京電力や政府の不手際を非難する声や、原子力エネルギーに代わる代替エネルギーを求める声は聞かれても、発電所を電力大消費地域に建設し、地方にのみ押し付けるなという声は一向に聞こえてこない。
それどころか、東京都の猪瀬直樹副知事のごときは、東京都の電力供給のための火力発電所を福島に作れなどと言い、また一部の脱原発派の中には、原発立地地域を「麻薬漬け」「守銭奴」などと口汚く罵る者も存在する始末である。

そもそも日本の原子力政策は、国策であり、「迷惑施設は地方に、果実は中央に」という中央のエゴイズムと地方蔑視に根ざしたものである。かつて地方で原発建設反対運動が起こると、「お前ら地方民も電力による恩恵を受けてんだから、原発反対なんて地方のエゴイズムだ!」と非難してきたのは、他ならぬ中央や脱原発派が口を極めて論難しているいわゆる「原子力ムラ」であり、現在、脱原発派がその「原子力ムラ」のロジックを駆使して原発立地地域を非難する現象は、皮肉にも彼ら脱原発派の心証が「原子力ムラ」のそれと酷似している事実を証明している。

脱原発派が展開している被災地の「放射能瓦礫」の広域処理反対運動を見ても、彼らが真に福島や震災被災地を真に思っているとは到底思えず、彼らの「脱原発」なるものは単に我が身可愛さや反体制運動のために被災地を出汁にしているとしか思えない。被災地復興の美名の下、復興資金を流用し私物化する霞ヶ関の官僚群と大差無い。

私も原発は最終的に無くなって欲しいと願う人間である。しかし、脱原発派の1年8ヶ月におよぶ言動・行動を傍らから観察してきて、彼らは被災地復興を妨げるのみならず、脱原発への道をも塞ぐものであると判断するに至った。

脱原発派に与せぬ者は悪だと言うのであれば、私は喜んで悪の汚名を引き受ける所存である。